永遠の師・おやじ

山本 幸三(ヤマモト コウゾウ)
自分が歩いてきた道をふと、振り返る時一番に思い浮かぶのはやはり偉大な父・幸三。
じいちゃんが修理工場を始めて、父がレースをしなかったなら今頃自分は何をやっていたか想像すらできない。
幼い頃からサーッキトに父の応援に行き、敷かれたレールに素直に乗ってレースの世界へ足を踏み入れた。父はプライベーターでの参戦の限界を感じ、ちょうどカートレースを始めた息子に夢を託したのか、レースを辞め僕のカートレースを支えてくれた。スパルタであった父はいつも厳しかったが、子供の目線にたって話をし、理解してくれる良き父・師だった。レースでミスをすると口数少なく大声で怒鳴る様な事は決してなかったが、その沈黙が子供ながらに恐ろしかったのを覚えている。普段は、ひょうきん者で友達も多く、人を笑わせる才能は天性のものだった。
しかし、自分にとっては厳しい父であり、尊敬や緊張からあまり甘えられなかったのを良く覚えていて、他の兄弟とはまた違った感覚を持ったものだ。その後の4輪レースでも色々と支えてくれた父。いつまでも先の見えない我が子を黙って見守ってくれた。いつかは、晴舞台を見せたいとがむしゃらに頑張って、ようやくスーパー耐久レースに乗れるようになり、これからという時に本当に突然に病に倒れた。脳梗塞だった。
意識が戻らないまま、1ヶ月が過ぎ富士スピードウェイでS耐に出場し、2位を獲得したその日に父は49歳の若さで他界した。きっと、見ていてくれたと今でも思っている。
やっと、父の死を受け入れ家族も父のハチャメチャな人生を笑って語れるようになり、母や弟と懐かしく数々の伝説を、振り返っている。!脳梗塞で倒れた前日は末っ子の弟のカートに行き、草履履きで真っ黒に汚れた足で、そのまま風呂も入らずコタツで寝入ってしまい、救急病院の人がその足の汚さにびっくりしたそうだ。
車に乗っても速く、板金の腕もピカイチで、人を惹き付ける(色んな意味で!)超える事の出来ない永遠の師なのだ。
オヤジはいつまでも49歳、もうすぐ追いついてしまうよ。


オヤジ 山本幸三の戦績(JAFより)
競技会名をクリックすると詳しいリザルトが見れます。
懐かしいドライバーがでてくるよ

1978年
開催日 競 技 会 名 カテゴリー 順位
03/05- ’78中国,九州地区選手権レース TS−A3000 1
05/02-05/03 ’78JAF富士グランプリレース大会 TS/GTSチャンピオンレースB 4
05/21- ’78オールジャパン・グランド200チャンピオンレース TS−A3000 11
12/10- ’78西日本ゴールデンチャンピオンレース TS−A 3000 2
1977年
03/26- ’78富士グラン・チャンピオン・シリーズNo.1富士300キロ・スピードレース大会 スーパーツーリング&GTチャンピオンレース 3
10/16- 西日本ツーリングカー選手権レース TS−IIグループ 10
12/04- 西日本ゴールデンチャンピオンレース TS−IIグループ 4
1976年
09/09- AMSC西日本選手権レース T−IIクラス決勝  
1975年
03/09- 中国.九州地区選手権自動車レース大会 T IIIクラス 1
04/13- YMSCツーリングビクトリーレース T−III 1
05/11- ムサシマスターズレース1 T IIIクラス 1
06/01- 西日本オールスターレース T−IIIクラス 2
10/05- ムサシマスターズレースII T IIIクラス 1
10/19- 西日本グランド200チャンピオンレース IIグループ 1
1974年
07/14- 厚保フレッシュマンレースシリーズNO1 TIIIクラス決勝 1
09/08- 厚保ツーリング耐久レース 第2レース 13
09/22- 西日本オールスターレースR3 T−IIIクラス 12
1973年
07/22- 西日本オールスターレースNO.2 T−III 1
10/14- 西日本オールスターレースR3 T−II.IIIクラス 15